この間配信したメルマガです。よりによってものすごく一方的な語りの回になりますがサンプル的に読んでもらえたら嬉しいです。申し込んだんだけどメルマガが届かない、という方は御手数ですが再度ご連絡をお願いいたします。
アシュタンガヨガ練習生のみなさんこんばんは。夜分遅く失礼致します。
今日は12月1回目の新月です。長くて深い、だけど不思議とポジティブなエネルギーを感じる冬の夜、いかがおすごしですか?
僕は今日は午前と午後に集落の仕事(田んぼ周辺の堰さらい、害獣対策のあれこれなど)をがっつりと、合間にデスクワークを片付けつつ、やっとすこしまとまった時間が取れたのでこれを書いています。
マイソールクラスをはじめてこのかたずっと時間に追われる毎日で、この一年もあっという間に過ぎ去ってしまった印象です。
このメルマガも毎度時間に追われながらどうにか書いている有様なので、基本推敲や校正をしている余裕はありません。
何が言いたいかというと、毎回誤字脱字や冗長な表現などが含まれていると思うのですが、どうかご容赦いただきたいということです (すみません)。
最近練習生でプロのライターさんが来てくれるようになったので、こんな言い訳からスタートです。笑。
今回もよろしくお願いいたします。
さて、前回のメルマガでも書いていますが、アシュタンガヨガの最高指導者、シャラート先生がお亡くなりになりました。
それからしばらく、世界中のアシュタンガコミュニティは沈鬱な雰囲気に包まれて、今尚SNS上には追悼の投稿が毎日アップされています。
僕は最初はあまり実感が湧かなかったものの、しばらくしてから悲しみがやって来て、それからなんとも表現しづらい喪失感に包まれて、今はやっと少し気分が上向いてきたところです。
先生が亡くなってからのこの3週間は、ずっと自分のこれまでを振り返って考え込む日々でした。
生まれてこのかた自分がどのように生きてきて、これからどう生きて生きたいか。
瞬きをする間に過ぎ去ってゆくこのうたかたの日々に、ほんの少しでも意味を持たせるために何をするべきか。
久しぶりにそんなことを真剣に考える、貴重な機会となりました。
そして、散々考えぬいた挙句たどり着いたいくつかの結論のうち、一番大切なことを宣言したいと思います。
「この先の人生最後まで、仕事を全力で頑張ります」
いい年をして何をふざけたこと言ってるんだとか、今まで頑張ってなかったのか、とか突っ込まれそうですが、本気です。
もちろん今この瞬間もこれまでも仕事にはいつも真剣です。
ただ、なんというかこれまでは正直イマイチ目標が明確に定まっておらず、がんばっているつもりでも肝心のゴールがどこかわからないという、頓珍漢な状況だったように感じています。大義がなかったというか。
仕事に対するメンタリティも幼稚な部分が抜けきっていなかったように思います。
そもそもの自分の人間性として、不真面目ではないものの勤勉実直かといえばまったくそんなことはなく、大事なことがらに関しては苦労は厭わないけれど、そのほかに関しては極力省エネ。抜け道があるなら全力でそこをくぐり抜けていくというタイプ。
さらにいうと、お金を稼ぐことが悪とは考えてないけれど、必死になって大金を手にするよりは稼ぎは少なくてもいいから時間が欲しい。
お金を使わなくても人生は楽しめるし、何に使われるかわからない税金なんて払えば払っただけ損した気分。
しがらみが何より嫌なので交友関係は最少で。大勢で遊ぶのも嫌いじゃないけど、一人の時間が最優先。
快楽を追うよりは、自分を律して研鑽し自尊心を育んで、その自分に酔っていたいナルシスト。
前科持ちではないし、大それたことができるタイプではないけれど、どちらかといえば人生は常に反体制側。
ヨガをはじめるまではおよそ権力という権力は毛嫌いする尾崎豊マインド(中学2年の時に形成)をこじらせている有様で、どこにいても自分の立ち位置を模索し続けるのが常だったと思います。
ですが、どうも、やっとこの度大人になりました。
「世界をもっとよくしないとな」
と思うようになったんです。
なんか、こう書くと全く真実味がないですね。笑。でも、これでもこっちは真剣です。
このところずっと考えていたことに、日本の刑法の問題がありました。
いきなり社会派ぶるつもりもないですが、ここ10年ほど意識的に遠ざけていた時事ニュースを最近また積極的にチェックするようになったんです。
目を覆いたくなるような陰惨な事件は今も昔も変わらず起きています。
ただ、以前と違うのは性犯罪、特に幼児虐待に関連するニュースが印象に残るようになったこと。
娘を持つ親として、また男としてとても許せないような事件、自分の常識ではとても考えられないようなおぞましい事件が日々起きています。
そして、そういったニュースを目にするたびに思うのは
「いや、これ量刑軽すぎじゃない???」
ということです。
僕は法律に関してまったく素人で詳しいことはわかりません。
憲法に絡む問題、冤罪の問題など、きっと一筋縄ではいかないことが多々あるのだと思います。
でも、今の状況では性犯罪関連の刑罰は大した抑止力にならないのではないかと想像します。
そして、それでは困るんです。
うちの娘がこれから自分の手を離れていく時に、気持ちよく送り出せる世の中でないと非常に困る。
なので、世の変態の皆様には申し訳ないけれど、彼らには滅びてもらうか心底改心してもらう必要があるんです。
そして、そのためには刑法を改正する必要があると思うようになりました。
あんなの、極刑でもまだ軽いだろ、、、みたいな納得いかない判決ばっかりですよね。ほんと。
僕に裁量があるのなら「生きたまま胆汁を採取され続ける熊として転生100回」くらいは言い渡したい内容の事件ばかりなのですが、でも、残念ながら僕にそんな権限はありません。
なので、どうにか関連する刑罰を厳罰化するために何かしらの運動をしていく、またはそういった運動をしている団体を支援しなくてはなりません。
そして、そのためには時間とお金が必要です。
そして、そのためには仕事をがんばって少しでも自由を手にしなくてはなりません。
そして、その段になってやっと、自分が本当にやらなくてはいけないこと、自分でなくてはできないこと、自分ではできないことが明確になりました。
あとは、人の意識改革も必要だと強く感じます。
昔から性犯罪や幼児虐待はありました。近年そういったニュースが増えているように感じているのは、これまで表面化していなかった事件が表沙汰になりやすくなったからだ、という意見もあるようです。
ですが、社会情勢の変化から人々の意識が変化してよくない方向へ向かっているという側面は間違いなくあると思っています。
社会が悪ければそこに住まう人は悪くなる。であれば社会を良くしていくのが正攻法で、社会を良くするのは政治家の仕事です。
だから僕がこれからできることは、ある程度勉強をして確かな政治家に投票をすることと、仕事をがんばってできるだけたくさん納税し、確かな政治家にそれを使ってもらい国を良くしてもらうこと。
ヨガを草の根的に広めていく以外、僕にできることはそれだけです。
だから繰り返しになりますが、これからの僕にできるのは仕事を全力で頑張りつづけることなんです。
これは自分にとっては目からウロコの大発見で、まさにコペルニクス的転換です。
「タイパ・コスパ・節税至上」
今の世の中にはびこるこんな主義や思想が、今となってはとても陳腐に響きます。
いっぱい働いていっぱい稼いでいっぱい納める。
それで世の中が良くなっていく。
これがシンプルで最高です。
そしてこうなると、誰に憚ることもなく全力で商売ができるというものです。
起業塾とかに参加すれば真っ先に叩き込まれそうな内容ですよね。笑。
でも、ずいぶん時間がかかったけれどやっと自分でこの発想にたどり着けたというのがとても嬉しいです。
松本でマイソールクラスをはじめてもうじき3年を迎えます。
まだクラスは軌道に乗っているとは言い難い低空飛行。
「どうしたって長野は人口が少ないし」
「欲をかかなければなんだかんだ生活はできるし」
と言い訳を並べて現状に甘んじてきたこの3年にそろそろ終止符を打とうと思います。
清貧などという言葉は過去の遺物。
無駄にタワマンに住んだり外車に乗ろうとは思わないけれど、自分の理想とする人生を歩むためもう一度腰を据え直して仕事に臨みます。
人生でやることリストは日々少しづつ増えています。
眺めているとそれだけでワクワクしてくるような素晴らしいリストなのですが、全てを消化するためには自由が必要で、そのためには良い社会の実現が不可欠です。
それは一人ではできないことだけど、同じ思いを持つ人が集まればきっと不可能ではないと思っています。
ここ最近ずっと考えていたのはこんなことでした。
先生の死をきっかけに自分の考えの整理ができて、一生をかけて実行していく決意ができました。
先生の仕事は生徒を導いていくことです。
それは背中を押したり、手を引いていくことではなくて
進むべき道を照らして指し示すこと。
僕はそう認識しています。
シャラート先生が無事輪廻の旅を終えていますよう。心からお祈りしています。
鳥井ナオキ