講師からのメッセージ

思い出せる一番古い記憶は、1才から2才の間の出来事です。


母が用事で家を空けなくてはならず、ほんのすこしの時間だけ、一人布団に寝かされていた時のこと。ふと、目をさますとあたりには人の気配がありません。


絶対的な庇護者である母の不在に気がついた途端、世界にたった一人放り出されたような気持ちになったのか、僕は必死で声を張り上げて泣きました。


そこにまず駆けつけてくれたのは、多分隣近所のおばあちゃんです。彼女が僕をあやしてくれているうちに、ほどなく母が帰ってきてくれて、安堵感からか恨み節か一層泣き声を大きくしたような、していないような。


正直に言うと、今から40年以上前のこの記憶が真実だと言える確証はありません。ただ、この文章にしてしまえばたった数行の思い出は、実際にあったこととしてずっと僕の胸の中にありました。


それからというもの折に触れて、大体は孤独を感じた瞬間に、この小さな物語がふっと頭をよぎります。


おそらくは、人生で初めて人とつながりが断たれたと感じた瞬間だったのかもしれません。


人は本能的に、一人では生きられないということを知っているのかもしれません。

このメッセージを読んでくれているということは、きっと日本アルプスヨガセンターか、アシュタンガヨガに興味を持ってくれているのだと思います。ここではそんなみなさんへ、これから一歩踏み出すきっかけを与えられたらという思いのもと、メッセージを綴らせていただきます。


なお、日本アルプスヨガセンターという屋号を掲げているものの、今現在は講師の僕、鳥井ナオキが1人で運営しています。


名前をつける際、すこし風呂敷を広げすぎかな、とも思いましたが、これから長野県内各地にヨガを広めていこうとする自分を鼓舞するためにも、ちょっと偉そうなネーミングにしてみた次第です。自分でつけておいてなんですが、本当に素晴らしい屋号をつけたものだと、しょっちゅう自分を褒めています。笑。

空海がヨーガを瑜伽として持ち帰ってから1,200年以上の月日が流れ、時は21世紀。ヨガが日本はもちろん世界中ですっかり市民権を得ているのは周知の事実だと思います。


人がヨガをはじめる理由は様々です。シンプルに肩こりや腰痛、病気や怪我の後遺症やメンタルの不調などを解消したいというのがきっとその最たるもので、ヨガを習慣化して継続すればその多くは緩和されていくでしょう。


そして、不調がなくなることで、毎日をより生き生きと楽しく過ごせるようになれたなら、ヨガのとりあえずの役割としては大成功。それだけでも、朝早起きする価値はあるというものです。


僕の個人的な話をさせていただくと、真剣にヨガに打ち込むようになったきっかけは当時夢中になっていたボルダリングのための能力向上を期待してのことでした。バックパックを担いで訪れたインドのリシケシという街で、妻に付き添ってクラスに参加したのがすべてのはじまり。リシケシで様々な流派のヨガに触れるうち、何の気なしにアシュタンガヨガのレッドクラスを体験してから人生が大きな流れに飲み込まれ、今こうしてアシュタンガヨガを広めるべく活動をしています。

ヨガはツールであると言われます。人が思い願うものは人それぞれ。そして、そのそれぞれの思いを遂げるための手段としてヨガは機能します。修行としてのヨガ本来の目的は「解脱」や「悟りを得る」ということになるでしょう。ですが、それを望む、望まないも人それぞれ。


そして、そういう高みを望む望まないに関わらず、ヨガを練習していれば自ずとその目的地へと歩を進めることになり、その過程で健康面などに種々の恩恵を享受します。

アーサナの練習はまず体を健康にしてくれます。そうして、やがて心にも働きはじめます。


ヨガは心を集中し「今、ここ」に定める練習です。使い古されて手垢のついた感さえある「今ここ」というこの言葉。


ですが、僕はヨガをはじめるまではそれを本当に実感していたかは疑問です。


山が好きでよく登っていたけれど、頭にあるのは頂上に立つことばかり。未来の目標に一心不乱に向かっているというと聞こえはいいけれど、道中、足下に咲く花に目を向けることもなかったあの日々が本当に楽しかったのかと問われると「わからない」というのが本音です。


それから月日は流れて、今は生活にヨガが定着しています。花鳥風月の美しさに心を奪われている自分に気付くたび、ヨガの恩恵に感謝をしています。


以前より、世界が明るく見えるようになった気さえしています。

これはあくまでも、僕の話です。ヨガの練習をしなくても、花を愛でる心を持っている人がきっとほとんどで、毎日を意識的に丁寧にいきているという人はたくさんいると思います。ただ、言いたいことは、人それぞれ立っているステージは異なって、自覚の有る無しに関わらず何かしら問題を持っていて、ヨガはそのそれぞれに固有に働きかけるのだということです。


そして、人それぞれ固有の体験をすることにはなるけれど、そこに共通するテーマを言語化するならば、それは


「誰もみな、幸せになりたくてヨガをする」


ということです。


そして、僕を含め世界中のヨガ講師がなぜヨガを広めているかと言えば


「みんなに幸せになってほしいから」


それに尽きると思います。

ですが「幸せ」という言葉の意味を辞書で引いても、釈然とした回答は得られません。多くの人が多くの言葉で幸せを語る今、それを自分で見つけるのがヨガの練習とも言えるでしょう。ですが、そのヒントはヨガという言葉の語源が持つ意味の1つ「つながり」という言葉にあるのだと思います。


そして、その「つながり」という言葉の意味を考えるたび、僕は「ウォーリー」というディズニー映画を思い返します。


いきなり映画の話に飛んでしまいなんですが、ウォーリーは地球にたった1人とり残されたロボットが主人公の物語。心優しくて働き者で、だけど意味があるのかないのかわからない作業に従事し続けるロボットが、他者と出会うことで成長をしていきます。


大変な状況にあればあるほど、自分の幸せを願うのが人の常。でも、人が本当に幸せを感じるのは、自分が誰かを幸せにする役に立てた時。人の幸せを自分のこととして喜ぶことができた時。


子供向けだからこそ、そんな大事なことがストレートに描かれる、素朴で素敵なお話です。


人は自分ひとりだけでは幸せにはなれません。


自分ひとりだけ幸せになったとしても、それは幸せではないからです。

ここまで読んで「いや、、、私は肩こり治したいだけなのに幸せとかつながりとか言われても、、、」と思っている方がいたらすみません。笑。


色々大げさに語っているように感じられたかもしれませんが実際にやることは、まずは身体的なアーサナの練習です。


体の変化や、ポーズの習熟を純粋に楽しむうちに、それに付随する日常生活の変化を感じられると思います。


そして、楽しみながら練習を重ねるにつれて、以前より心身ともに強くなっている自分にふと気づく時がくるはずです。


それは日々の練習に裏付けされた真の強さであり


あなたの大切な人たちを守りぬく力であり


受け入れがたい運命に抗う力


それは自分を信じて、自分の可能性にかけて挑戦をする勇気です。


その力を手に自分の人生を切り開き、大事な人たちと共にせっかく生を授かったこの世界を目一杯楽しみ尽くせたら、生まれてきた甲斐があったというものです。

アシュタンガヨガは人を幸せにしてくれるヨガ。


それは、自分に対しても、人に対しても、優しくあるための心の強さを与えてくれるヨガ。


それは、あなたと世界が深いところでつながっていることを気づかせてくれる、とても不思議な練習です。



誰もがいつか迎える人生最後の日に、思い残すことがないように。


そのために充実した日々を送るお手伝いをさせてもらうことが、今の僕の使命だと感じます。


僕の人生を変えてくれたこのヨガを、ほんの少しでも伝えることができたならこんなに嬉しいことはありません。


いつかみなさんとスタジオで会える日を楽しみにしています!